今でも言うのかな?
昭和時代に、適切な治療を求めて右往左往する様子を、
治療ジプシーと表現することがあった。
この表現は、ジプシーとして生きる方達に失礼だし、偏見だし、
第一に「アンタ、本物のジプシーに会った事もないやろ?」やし、
そもそも「日本に、ジプシーとして生計を立てながら暮らす人っている?」やし、
令和時代ほど『あちこち移動』しなかった昭和時代の、
田舎の人がもつ、目移りへのイメージから出た言葉だと思う。
で、表現は『右往左往』が、やはり最も近かったと回想している。
昭和で田舎で、未知の病気で珍しいから。
とにかく情報がなかったし、治療のお手本もなかった。
本当に困ってた(現代は情報過多で困るが)。
肝を据え『アトピーである自分と向き合える』ようになるまで、
何年も何年もあっちフラフラ、そっちフラフラと定まれず、
手応えも希望もなく、焦燥感いっぱいで生きていた。
どうしたら私の皮膚は健康な人と同じに、綺麗になるんや?
切実で、必死な悩みやった。
それは〈弱み〉にもなる。
必死さ=弱みにもなると知る人は、窮地に陥った経験者、
どうしょうもない状況に置かれた人は、私が弱みと書いた背景を想像できるだろう。
必死で求めたら得られる事もある。それも実感している。
必死で何かを求めていると〈色々なもの〉が集まってくる。
けど、その中には、邪な心をもった人が投げかける情報も、
善意の人が心配をして与える、私の体質には全く合わへんモノも、
含まれていたりする。
そして、自分や家族にとって未知の事柄(アトピー)に臨む身では、
正しい方法なのか?間違っているのか?
判断ができない事だらけで。
それで右往左往する羽目になる、と常々思う。
時代が違えば、背景も大きく変わる。
しつこく書くけど、昭和時代の田舎で得た情報量とか内容とか、
令和時代の今、得られる情報や知識とは、同じ国とは到底おもえない。
それほどに差がある。
例えば、病気に限らすトラブル解決の方法が、
外国が舞台の映画や物語なら、現代日本に住む人からみて
「えぇぇ?なんゃ?その原始的な方法は?」
「いやいや、あかんでしょ、そんな治療法は」
「あり得へんわ」とか言いたくなる手法が用いられる話。
あるでしょ?
そんな感じの事がアトピー治療でも横行してた。
特定の食品だけを食べれば良い、
ある種の食品さえ避けていれば良い、
この水(茶でも何でも)を飲めば効く、等
令和の今でもあるみたいやけど。
昭和時代の私がお勧めされた品と言えば、
どくだみ茶、びわ茶、柿の葉茶とか一般的な健康品の他に
虫の抜け殻、動物の皮を燻した謎の物体、
よく分からん種みたいな実みたいな???
説明をされても訳が分からない
それらを煮出し、茶として飲め!とか。
しかも、そうゆうのって何故か、
やたらと高額…
正気か???
お勧めしてくる側は大真面目に言ぅてくるし、
しかも、めちゃくちゃ執拗で粘るし。
ホンマに往生したわ、勘弁してほしい。
ただでさえ病気で悩んでるのに
「断ったら角が立つし」
「一回だけでも試してみたら」とか
商売上の付合いで、と
父親から暗に(ここポイント)圧がくる。
お茶なら程度がかわいいモンゃけど、
謎の呪文(?)が書かれたお経モドキを勧められ、
朝夕、唱えろって…
それでアトピー治ったら医者いらんし!!!
不愉快感と違和感てんこもり
あの頃のアレコレを思い出しただけで苛っとし
文章が荒れる ← 失礼。
アトピー性皮膚炎の〈外見に表れる悩み〉ゆえに、
沢山の情報がきた。
お茶も、食品も、水も、温泉も、
謎の実やら呪文は知らんけど、
それ自体は悪いものではないと思う。
でも、それ単体が治療にはならん。まして、
漫画みたいに、知り合った人が実は
すごい実績と経験を隠し暮らしてて、
たまたまの御縁で知恵を授けられ、等の
超のつく珍しい出会いでない限り
「これ使ったら必ず効くから」と素人の田舎者が断言して、
ホンマに治るほどアトピーは簡単な病気ではない。
※都会の人が言うたから治るもんでもないし、誤解なきよう
見知らぬ人からも唐突に、なんやかや勧められ、
そうゆうの多すぎ、疲れ果てていた。
ホンマに疲れていた。
先がみえない霧の中を歩いてて、あちこち穴があいてる、
嫌な穴も混じってるし、警戒しながら神経張ってて、
ごく稀に真実が入ってそうで、自信も決断も出来なくて。
中には、お金を巻き上げる目的みたいな奴も
善人面で含まれたりするし。
こと・アトピーにおいて未経験の両親も頼れないし、
自分で決めて選択を間違えたら、後に自分の皮膚がタダレる。
痛みや熱、激しくて
失神しそうに辛い痒みに苦しめられるのも、私。
凄まじい緊張感と共に生きていた。
アトピーならこれが効く!的な広告は沢山あるけど、
こんなに求めているのに、良い治療法に出会えない。
期待しては絶望して、その繰り返し。
10代~40代初めまで、そんな日々だった。