就職活動、バイト選び、申込んで面接、採用される過程では、身体的な条件も影響する。
どんなにキレイゴトを言っても、暗黙でも、チラ見せでも、あるもんはある。
中学3年生の秋、アトピー性皮膚炎と診断されて以降、私の人生にはアトピーが常にいる。
肌荒れは「望まぬのに居座ってる」反応、思うにならぬ別の自分という感覚がする。
人生の分岐点で重要な決断をする際、アトピーの病状を外して考えられない。
かなり影響を受けている。
いゃ、時には、邪魔されてる?護られてる?とすら感じる。
アトピー人口は多くて、今では「ありきたりの」「大した事ない」病気と考える人もいる。
実際に面と向かって言われた事もある。
でも、当事者には「大した病」だし「かなり面倒な思い」をしている。
アトピー性皮膚炎にも様々な段階がある。
極軽いアトピーなら適切に選べば化粧も出来る。
肌が繊細な面を注意しながら付き合えれば、外見は、健康肌の人と大きな差はない。
でも、けっこう強く症状がでると、アトピー肌で化粧を毎日する事は困難。
フルメイクして、洗い流してと手順を、毎日する事には耐え切れない。
悪化してジュクジュク汁が滲むほど症状が現れてる時、下手をしたら働けない。
男性でも女性でも同じ。
よく〈化粧ができないから〉と女性の悩み中心に語られるが、男性のアトピー症状も難しい課題がある。特に【髭の問題】は、かなり大変だ。
社会人なら「無精髭は失礼」「身だしなみ、髭禁止」等は、常にいわれる社会的なルール。昭和時代に比べて、服装ルールが緩い業種は増えているとしても、やっぱり無視できない。
令和の今ですら、多くの職種では、計算され手入れされた髭(かなり高等技術)なら個性と認められても、単なる生えた髭での出勤は歓迎されない。
アトピー肌の人にカミソリ毎日って、皮膚への負担が強すぎる。
毎日の髭剃りは難しい。
髭剃りメーカーがシェイバー開発に全力を注いでも、肌そのものが弱いと、かなり悩ましい。
又、ある種の職業ではネクタイ必須。
アトピー症状は首周辺に現れる(傾向がある)ので、ネクタイをするのは症状の上に固い布を乗せ、絞める状態なので皮膚に障る。
首に症状がでると、無意識にだが、首肩に妙な力が入っている事が多く、肩こり状態。
ネクタイして仕事を毎日、かなりストレスになる。
女性のストッキング、男性のネクタイ。
どちらもアトピー肌には厳しいアイテムである。
おまけに、これだけ有名な病気なのに、案外と実体を知られていない。
アトピーは内臓疾患や怪我、生活習慣病とは違う意味で、周囲の理解を得る事が難しかったりする。
「アトピーでネクタイが辛い」「アトピーでストッキング着用は無理です」と伝え、納得してくれる上司は少ないだろう。
多くの人は、おそらく悪化したアトピーの人を間近で見た事がない。
身内や友人には居ない限り、持病がある人間の抱える課題など意識に上らない。
もし、人前に出る仕事に適正があり、希望していても、アトピー故に「外見の問題で」「見栄えが悪い」といった理由で、不採用になる。
実際に学生時代の体験である。
荒れた肌、赤みをおびた不健康そうな肌で接客は無理でしょう、と言われた。
その時、まだ10代だったが(確かにねぇ、、、)と思った。
面接に来ていた他の学生達は皆、艶のある美しい肌。化粧してなくても、化粧した肌なら尚尚更、赤く荒れた自分の肌と見比べると、なるほど(この人達の中に居たら、悪目立ちするだろう)と思い至った。
見栄えが悪いとは酷い言葉だが、コンプライアンス等が全くなかった昭和時代の事。
そういった言葉など周囲に溢れていた。
学生時代、レストランの面接で、友人だけが採用された時に〈肌状態が採用に影響する〉と覚った。これが最初だった。
英文科に通っていたので、周囲は「スチュアーデスを目指す」努力をする同級生が溢れていた。昭和の終わり頃、まだCAと呼ばれなかったし、女性の花形職業として憧れる人が多かった。
化粧は必須。身長制限すらあった。
スチュアーデス希望の学生向けの、専門学校に通う同級生から「身長が160cmないから難しいって言われた」と聞かされた。
努力を惜しまず、気質では適正もあるだろう人でも、厳しい採用。
元々、化粧できないので話にならないが、彼女達との会話から(社会に出たら化粧を求められる機会が増える)と実感がわいた。
学生時代を終え、就職をする年齢になった時に改めて考えた。
私は毎日、化粧ができるか?
いつもストッキングを履いて過ごせるか?
希望する職種の為なら耐えられるか?
とても考え込んだ。色々とシュミレーションした。
「なんとかなる」「好きな事なら我慢できる」とは、とても思えなかった。
そう思えない程に、私のアトピーは重かった。
肌が「ちょっとアトピー肌で」とは言えない程に荒れていた。
アルバイト、契約社員、正社員、当時は派遣社員という存在はなかったが。
どの採用形態でも、ひどく荒れた皮膚をした20歳は、好景気であっても職業を厳選しなくてはならなかった。
例えば、営業職、受付、秘書といった人目に晒される職種は、初めから外して考えた。
事務職も、昭和時代や平成時代の初期には、派遣ではなく正規雇用だった。
これも都心に近いほど、化粧は身だしなみ!であったし、会社の業種によってはスーツ着用が必須だった。
探せば、事務職員にフルメイクを求めない職場も、田舎では珍しくなかった。
なんとか〈そうゆう隙間〉に、潜り込まなくては!とすら考えていた。
自分の適性や興味、能力よりも「身だしなみ」が大きく影響した。