大人運が、子供にとっては重要だと私は思う。
2020年、世界にコロナウィルスが出現する以前から、おそらく不況が深刻さを増すばかりで、希望の兆が見えない空気が日本に漂い始めた頃から、「親ガチャ」という言葉が世に出たと記憶する。
ガチャは昭和時代に子供だった私も楽しんだ。
小学生の手の平に乗る大きさの、透明プラスチック製の玉に〈ちょっとしたおもちゃ〉が入ってる。レバー付きの大きな透明ケースに沢山、おもちゃ入りの玉がつめてある。
どれが出てくるか選べない。
思いがけず良い物、
ちっとも好みじゃない物、
なんじゃコレ?な物、
既に持っている物 などなど
子供心ウキウキ、今でも懐かしい。
これを考えた人って子供心理を深く理解してるんだろうな。
そのガチャに「親」がつくと、物騒なムード漂うものだ。
誰が最初に言ったか不明な、この造語が広がったのは人々の気分、特に若い世代の気持ちに引っ掛かる〈何か〉があったからと思う。子供は親を選べない(※)、姿形、体質や気質、習慣などは親のモノを受け継ぐ。
※生まれる前から選んでくる説もあるが、「記憶がないまま苦しい思いをする」のだから、この話題では脇に置いて書かせてもらう。
更には親の居住地、その地域の風習、そこに住む人々の集団的な意識も影響が大きい。親の職業は家庭環境と密接になる。
商売人か勤め人か?
田舎か都会か?
親が健康か病弱か?
親が学ぶ事に理解を示すか?
祖父母と親の関係性、親戚との距離感は?
親が知恵者かウッカリ屋さんか?
親がナマケモノか勤勉か?
転勤族か地域根付いた職業か?
挙げたらキリがない。自分以外の、様々な要因に囲まれて子供は生活する。
「自分にとっては親ガチャ、どうだろう?」と考えてみた。
どうだった?と過去形でないのは、現在も私の人生が進行形だから。
若くない私にも『先のこと判らない』『最後の最後まで人生はままならぬ』『未だに心身とも安定はしない時がある』等と、未知数であり今後も変化してゆく。
更に言うと、私の親はまだ生きている。
親が天寿を全うして、お互いこの世での暮らしを終えないと、良い人生だったか判定できない。20代30代よりも、人生後半に入った今の方が「読めない」感が強い。
おそらくアトピー性皮膚炎になる体質は、親の片方に「芽」があったと思う。
病んで闘病生活に入った時期、物理的にも経済的にも支えてもらった。
複雑な家庭心理で子供時代は苦しめられた。
昭和で、田舎で、商売人の親の元に育って窮屈だった。
欲しい物は買い与えられていた。
アトピー症状と家庭環境は無関係ではなかった。
一時期は実家と連絡を絶つほど冷えた心が変化している。
令和時代の今、あの家庭環境は既に消滅している。
色々と絡み合い、自分の親は「良い親(だった)か?」判断できない。
ある時、母が言った「こんな体質に産んで申し訳ない」と。
親ガチャで考えたら、体質の弱い要素を両親や祖父母という家系から引き継いだ。その点はガチャ外れ!になるのかも。何十年間も貰った肉体で娑婆世界を生き抜かねばならない、可能な限り丈夫で、トラブル少ない肉体の方が良いだろう。
母の「申し訳ない」はトラブル多発な肉体を与えた事を指した。
アトピー性皮膚炎なる奇病(昭和時代には珍しかった)になった子供は、色々と不利な事も多かった。母の言葉は、母たる所以だと思う。
しかし、私はアトピーの事で母に対して怒りをもった事はない。
令和時代の初頭、今風に言えば、体が健康じゃない=親ガチャ外れた、と思ってない。
私の怒りポイントは、もっと別のところにあった。
母は、それを全く理解できなかった。
親ガチャよりも、私には大人運がなかったと思う。