大人運とは何ぞゃ?
これ、私が感じている事を単語に表し、一言にしたら「こうなった」言葉なので、文法的に変だとか、言葉として奇妙、正しい日本語じゃない等々は、ちょっと脇に置いて読んで頂けると有難い。
平安時代から江戸時代から、明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代、令和の今、、、
いつだって、幼い子供にとって親が全て!!
大昔なら、10歳にも満たず早々に奉公へ出された、捨てられた等は、時代劇や小説などに描かれている。それだって〈そうせざるを得ない貧しさや状況〉に親が置かれていたから。子供が親の状況で早々に手放されたり、地域の慣習により家から引き離されたり。
積極的に好んで子を手放した親など稀、と思う。
幼い時代は、親がつくる家庭という環境しか選択肢はない。
でも、親の環境には他の大人達との人間関係が存在し、それが親を通して、時には親を越えて子供に影響を与える。
私が子供だった昭和時代の田舎では、子供は社会で見守る空気あった。
地域の大人達が皆で子供を見守りつつ、時に監視の役目もしていた。近所の大人や親類、何かやらかせば、時に通りすがりの大人からも注意を受けたり、助けられたりの機会が頻繁にあった。
間違った事をしたり言ったりは、よその子でも注意する!
そんな空気が漂い、大人と子供/家族と他人の関係が近かった。両親や同居祖父母、関わる教師以外の、大人の目線を常に感じていた。私という小学生を取り巻く社会には複数の大人がいた。
子供の頃、大人は皆、立派で正しいと思っていた。
自分より「上」の人達の言う事は絶対、と信じていた。
もっと言うと「大人は子供に害を与えない」とすら信じていた。
子供に致命的なダメージを与える大人など、幼い女の子に痴漢を目論む不埒な男くらい。
でも、実は、いないのではなく「その存在が隠されていた」「幼い私には見えていなかった」のだと思う。昔、多くの小学生、中学生の世界で登場人物は限られ、その限られた一人一人の影響は大きかった。
不特定多数の存在と、こうしてアクセス出来てしまう令和時代との、大きな違いと思える。
平成時代や令和の日本では、子供は親だけが監督責任という空気感がある。もちろん、いつの世にも各家庭の方針、地域で相当な差異があり、全日本人を指していない。田舎で祖父母と3世代同居の環境も残っている。
同居家族の影響が最も大きいが、他人の影響も無視できない大きさで、時に衝撃を受ける事もあった。その他人の大人達との出会いが、良いものであるか?悪いものであるか?
大人にも色々な人がいる、今も昔も。
もしも、運悪く親と相性が良くない、兄弟姉妹と仲良く出来ない
残念ながら、同居の祖父母から可愛がって貰えない
小・中学生の頃に担任教師と相性悪く学校が楽しくない
クラスから浮く、いじめに遭うが担任は知らぬふり
等々。
私の場合、アトピー性皮膚炎で苦しんだ時に、体や症状と適切に向き合える助言をくれる大人が身近にいたか?は、とても大きな事だった。医者や治療家との出会いで暮らしが大きく左右された。
自分以外の人間(親、含む)との接触、何かの出来事で悩んだり傷つく。自分側が年若い、幼いと特に辛いし、ダメージが大きくなる。
もし悩んだ時に、当事者ではない誰かが間に入ったり、解決の糸口を示したり、或は、悩みのタネと物理的な距離をとれたら、少し冷静になる時間をもてたなら。〈誰か〉〈第三者〉が関わる事で、気持ちが追い詰められず済むこともある。
親と相性が悪くても、祖父母が可愛がってくれた。
担任教師と上手くいかないが、親は理解をしてくれる。
家庭内で孤立しても、気にかけてくれる親類がいる。
兄弟姉妹と仲良くできなくても、親が上手く対処してくれる。
学校で先生に理解されなくても、習い事の場では認めてくれる大人がいる。
自分に合う治療をしてくれる医師に出会う。
幼い時に主要人物(親や先生)との関係が残念でも、他の部分で運が良かった為に救われる事もある。良い師匠に出会う、子供時代の、こうした大人との運の影響は侮れない。
親や兄弟姉妹、祖父母、学校の担任といった一番に関わり深い人達との関係が、良いなら、それが最も良いと思う。親ガチャというモノが、外れではない方が良いだろう。
でも、それらに期待できない状況なら、他の部分で〈良い御縁〉があれば、少しだけ救われないだろうか。私が考える大人運とは〈良い人との御縁〉のこと。
縦の関係;親や祖父母といった大人との相性、兄弟姉妹
横の関係;学校の先生、担当医者といった大人との相性、クラスの子達
それとは違う〈ななめの関係〉が、時に大切だったと、今でも思う。
大人運という第三、第四の大人との出会い〈ななめの関係〉で、救われた。
そういったケースもある。
人との出会いは運の要素もあるが、幼年期は自ら選んだり掴みとるよりも、
周囲が自分に関与してきて発生している面が強い。
残念ながら、私の大人運は「心温かい大人の人に可愛いがって貰えた」とは言えないもので、振り返って懐かしみ、善き記憶として残る出会いは少ない。
そして、それを今でも残念に感じている。