小学生にピアノを習わせられる親の経済力、これは令和時代でいう「親がちゃ、アタリ」となるのだろうか?
小学生時代から極度の乾燥肌になるストレス。
学校でも家でも、幸せと思えなかった。
両親が商売をしていた関係で、時に「お宅のお子さんもウチの教室へ」の誘いがきた。田舎独特の付合い方であり、商品を買うお客さんの所には〈こちらもお金を払う何かを〉という関係。
例えば、髪を切る。歯医者へ行く、お菓子を買う店、食料品や日用品を買う場所などなど。
生活全般に「うちのお得意様の所で」と決められていた。
その一環でピアノを習う事になった。誘いに乗り「あそこは」という大人の事情で、子供の習い事も決まる。試さずに断るのは難しい圧力がある。
これまた運のないことに、そのピアノ教室の講師は気難しい男性だった。
しかも、当時の田舎では珍しく、中・高校生、音大を受験したい生徒に適した指導の、ガチなピアノ講師。
対して、人見知りで怖がり、痩せっぽちなオドオドした小学1年生。
意欲もなければ、才能の片鱗もない。
どうみても教え甲斐のない、熱心な指導に適してない子供。
本人が「習う」と言って始めてないと上達は遅い。
苛立ったピアノ講師は、よく私の手を叩いたり、つねったりした。
そして、閉じられた空間での、そんな指導内容を、両親も、教室オーナーも知らない。
習い始めたら、商売上の都合で「辞めずに通え」と言った。
叩かれ、つねられ、時に罵倒されながら6年間。ピアノを習った。
今も楽譜は読めない。
それでも、ピアノの音色は今でも好きだ。
時間が許すなら、再び習ってみたいとすら思う。
プロを目指す家庭でもない、ただの趣味なら、欲を言えば、気の弱い小学生が初めて習うピアノは、穏やかな雰囲気の、楽器や音の楽しさを教えてくれるタイプの講師に、出会いたかった。
両親は習い事の費用を払ったが、そこの講師が、自分の子供との相性は良いか?指導内容や雰囲気はどうか?といった、(子供にとって)重要な事柄に関心を持たなかった。
こうゆう場合の、私の〈親がちゃ〉半分ハズレ?半分アタリ?
大人運は乱調だったかも。
親や同居の大人が厳しい人達なら、担任教師が生贄を置きクラスをまとめるタイプなら、せめて個人的な習い事の先生は、小学生の私に柔らかい対応をする人であれば、と残念でならない。
子供時代の私は、成績の悪さから両親と祖母に吊るし上げられ、家の中で大人3 対 私1人の多勢に無勢で責め立てられた。父からは「不出来」を理由に、時には仕事上のストレス発散の八つ当たり的に、気まぐれに、頻回に怒鳴られ、蹴られた。
学校では担任教師から、
習い事ではピアノ講師から、叩かれ、ツネられが、日常だった。
おそらく強いストレス故、皮膚は常に乾燥し荒れていた。
乾いて粉状に剥がれ、子供らしい弾力や艶のない肌。
ずっと後に、身近な人間のストレスから解放された時、自分の置かれていた環境が皮膚にも悪く影響していたと、初めて知る事になる。それまで「体質」と思っていた。
私の人生には沢山の透明な玉があり、
その1つ1つに出会った人々と、
出会ったかもしれない、
出会わなかった人々(例えば担任でない教師、習わなかったお稽古事など)が、
入っている。
自分で選らんだ玉、
誰かから選ばされた玉、
選びたかったけど現れなかった玉、
現れて欲しくなかった出会いの玉、
思いがけない玉、
子供時代に来た玉の大半は自分で掴んだものではない。
こんな風に書きながらも、アタリ/ハズレの判定は、今も出来ない。
年齢が上がるに比例し「自分で選んだ玉」で、人生が創られてきた。
もし、誰かと出会ったら『縁を育ててゆけるか?』も重要になる。
親との関係が幸せなものでなく、人が怖い気持ちがある。他人との距離感が判らず不利だったが、自力で学んで他人様と関わってゆくしかない。人生は長いのだから。
たくさん失敗をした。
相手に失礼な事もした。
失礼な事もされた。疎遠にもなった。
それでも、出会った人との縁を大切に育てたい気持ち、相手と向き合う誠実さ。
人生の終わりまで、持てる限り持っていたい。
大人になったら、もう大人運など不要になる。
子供時代より、半世紀は生きた今の方が自由で在れる。
残念ながらピアノは習えない、別の楽器を見つけたから。