私の肌年表、鱗のごとく皮が剥がれるアトピー道【前編】

こうしてブログにアトピー性皮膚炎の事を書くなら、病歴も記載しておきたい。

ある病や不調の、辛さ、苦しさ、症状の重さは個人差がある。

アトピーを持つ人から「私の方があなたより重症」と言われたことも、

逆に「あなた程の酷さじゃなくて良かったわぁ」と言われたことも、ある。

同じ病名だと勝手に比較して、優劣をつけ、時に優越感や劣等感をみせる。

病持ちってのは、実は、同じ病気の者への複雑な心理があるらしい。

令和時代の今、アトピー性皮膚炎は珍しくないが、重症患者から体質や肌がアトピー〈傾向〉な人まで含めると、なかなかの人口で。

人が多ければ、それに比例して「体験」「経過」も世間に転がっている。

 

だから、当ブログ内のこれらは「管理者 shigeri の体験」でしかない。

アトピーとの付合いも長いが、つくづく肌質、体質って簡単には変わらない。

これは私の皮膚の歴史。

幼稚園の頃から予兆はあった。

皮膚が弱いタイプの子供で、乾燥がひどい。

小学生の頃、子供らしい弾力と艶が少ない肌。

それでも日常生活に支障はない程度だった。

成長するにつれ自然と強くなると言われ、信じていた。

中学生になり、体が強く育てば大丈夫、あと少しで健康な肌。

 

転換期は、中学3年生の夏。

夏に受けた盲腸の手術がきっかけとなった。

手術自体は成功したが、この時に私は【人生最大のミス】をした。

このミスがなければ、全く異なる人生を歩んでいただろう。

 

中3の夏の盲腸手術は、影響が夏の終わりに現われ、皮膚がポロポロ剥がれ始めた。

秋にはガサガサ全身に症状が表れ、本格的な乾燥期(冬)に入る前に、激しく悪化した。

中学3年生、受験のストレスか?

自分の身に、何が起きているのか判らぬまま、近所の医者が言う通り【軟膏】を塗布。

それでも治らず、隣県の小児科医(皮膚治療に良いと評判らしい)を紹介され、

中3の秋から一人で、電車で通うようになった。

けっこうな頻度で学校を休み、内申書は最低となり高校受験が危うくなる。

なんとか高校生になったが、皮膚のタダレは全く改善せず。原因も不明。

高校時代、隣県の小児科医は「君は子供ではないから」と言った。

事実上の〔サジを投げ〕られ、そこへ通う事を止た。

父の友人から、反対側の隣県に良い漢方医がいると勧められ、通うようになる。

悪化し過ぎたアトピー性皮膚炎に、漢方薬を煎じ飲み、塗っても、全く歯が立たず。

赤く腫れ、タダれた皮膚をした女子高生は、何とか短大生になった。

 

短大1年生の秋、目に小さな異変を感じ、気軽な気持ちで眼科医を受診

その場で「失明するょ、今すぐ手術」と診断され、大病院へ緊急入院。

両眼とも白内障、網膜剥離になっており、一ヶ月以上の入院、両眼の手術。

幸い失明は免れ網膜剥離の危機は脱した。白内障は将来に持ち越しの保留。

入院先が大病院だった為、眼科の医師や看護師はタダれた皮膚に注目、

「予約を取っておくから」と病院内の皮膚科受診を決められた。

同時期、通っていた漢方医は「ご縁があるなら」と、大病院皮膚科を勧めた。

かつての隣県小児科医も、漢方医も、私の悪化した皮膚には手を焼いていた。

でも、本音は明かさない。自ら診られないとは言わない。

次の何かがあれば〈渡りに舟〉と他の理由をつけ勧めてきた。

こうして大病院の皮膚科権威に診て貰う事になった。

そこには18歳~23歳の期間、通っていた。

大病院の皮膚科医は、様々な種類のステロイド軟膏を処方した。

右半身と左半身と、違う薬を塗り分けたり、一ヶ月ほどで薬を変更したり

よく判らないまま従ったので、私の部屋は薬袋だらけになった。

この通院期間中、20歳の私は【人生最善の選択】を我知らずしていた。

後に、その選択の意味を知った時には、身震いが止まらなかった。

私は命拾いしたのだ。

いろんなステロイド軟膏を塗り続けた皮膚は、傷一つない肌となり、

テランテランと薄く輝いていた。

傷がない肌になった私は、短大生活と20代初めの数年を楽しんだ。

もう1つの人生最大の転機が、23歳の夏にやってきた。

 

この転機がなければ、私は今こうして、この世に居ない。

夏のある日、いつもの如く皮膚科受診後に沢山の薬袋を手にした私は、

短大時時代の恩師と、偶然にも電車内で再会した。

そこで、以前も勧めて下さった脱ステロイド軟膏と、良き医師がいる旨を勧められ、

たまたま4日後に開催される医師の講演会へ誘われた。

その講演会は衝撃的だった。

余談だが、その会場で、昔お世話になった中学時代の英語教師にも再会した。

この偶然にも驚いたが、信頼できる恩師2名との御縁もあり、その日の内に決めた。

大病院皮膚科を止め、講演していた医師の個人クリニックへ移る事にした。

23歳の秋、私はステロイド軟膏を塗ることを、一切止めた。

そして、今に至るまで一度も塗っていない。

それはそれは壮絶な副反応がでる、ステロイド軟膏中止の恐ろしさを

23歳の夏、私は知らなかった。