前編は23歳までを書いた;
県内の大病院皮膚科に5年ほど通っていたが、個人クリニックへ移る事にした。
23歳の秋のこと、私は本当に『何も判っちゃいなかった』ので、後の事など考えず
使用していた全てのステロイド軟膏を一切止めた、その後どうなるか知らずに。
そして、今に至るまで一度も塗っていない。
無知とは恐ろしいが、無知ゆえに勢いだけで乗り切れたとも言える。
23歳の秋、他県の個人クリニックへ移った私は、食事療法を中心とした治療を受けた。
この食事療法は今考えても、相当に過酷&独特なものだった。
体質改善や長期療養の手段を選ぶ際、意外と〈元々の性格〉も影響するらしい。
その過酷さゆえ「アトピーを100%完治させたい。これくらいしないと治らない」と、当時の私は考えていた。
治療法の詳細を聞き選ぶ/選ばない、選択の自由。
私は敢えて選んだ。
食事療法の過酷さは、別の機会に書く。問題は副反応、、、
1992年の夏、ステロイド軟膏を止めた後、徐々に皮膚表面に変化が表れ、
秋には、明らかに異常な反応が出始めた。
アトピー特有〈皮の剥がれる〉症状が、過去に経験した事ない量と凄まじさになっていた。
剥がれた皮膚の下からジュクジュクと汁が滲み、黄色くて強い臭い。
全身の皮膚は赤く、触ると熱っぽい。
経験のない強烈な痒みが24時間、毎日、続く。
余りの痒みに爪を立て掻きむしると、後からひどく痛み、傷から血が出る。
血と黄色い液は皮膚上で、意外と早く乾き、固まった様は昆虫の薄い羽根のよう。
衣類が肌に触れる部分は、衣類とバリンバリンに固まった羽根モドキが粘着し、布が皮膚の一部みたく張り付いてしまう。
そっと剥がしても痛くて、不快で、剥がした部分から再び血と黄色い汁が滲む。
剥がれる皮の量も、箒で集めると手の平にいっぱい、小山になった。
目玉、足の裏、手のひら。この3ヶ所以外に症状が襲ってきた。
一番に不快だったのは、耳の穴、頭皮だった。
耳の穴も黄色い汁が溢れ、ジュクジュクと音がする。
汁が絶えず流れる故か、耳穴に〈黒いカビ〉が生え、それが痛い。
頭皮から流れる黄色い汁で、髪は固まる。まるで凝固剤だった。
しかも、痒くて痒くて、臭いも強烈で。
髪がベトベト粘る、気持ちが悪いから洗うと、シャンプーや石鹸が皮膚に刺さるよう
痛くて仕方がない。
気持ち悪いからお風呂に入るが、全身は「水すら皮膚に触ると痛く」風呂も辛い。
頭のてっぺん~足の指/かかと、全身が24時間その状態。
更に、絶えず全身に傷がつき(今思えば)感染症にも罹ったらしく、絶えず発熱していた。37℃~38℃近い熱が頻回にでる。
皮膚は赤みと熱気を帯びているのに、絶えず寒い。
寒くて寒くて、真夏にも何枚も重ね着をしなくては耐えられない。
重ね着も、皮膚に布が張り付きすぎないよう、ゆったりとした綿の服。
手首や首にはタオルより、ハンカチや手ぬぐいを巻いていた。
絶え間ない痒みが波のように襲う。特に夜間ほど強くなる。
寝不足、休まる事がない精神は張りつめてリラックス状態とは遠い。
痒みと痛みを感じない時はなく、ストレスで体が強張る。
極度の疲労感、横になっている時間も、心身は休まらない。
溜まっていく疲労と「どうなってしまうんだろう?」という焦り。
動くだけで、風が体にあたるだけで、痛くて泣いた。
動くより、苦痛な全身症状にまみれながら横たわっている時間、
何年もそんな状態で、20代前半の体は「80代のよう」だった。
足の裏の筋力も落ち、歩くと刺さるような痛みが走る。
体が健康でない状態が長く続くと、精神もおかしくなる。
大病院の皮膚科から、小さなクリニックへ移った時、こんな状況を想像していなかった。
一体、なぜ???
1990年代の田舎で、情報弱者な未成年が、その理由を知る由もなかった。
仮に「知識として」知っていたとしても、実態は判らない。
ステロイド軟膏を何年間も使用し『ある日、一気に止めると、どんな状態が襲ってくるか?』実態など、知らなかった。
ここまで凄まじい症状が表れるとは!!!
小さなクリニックの医師も、詳しく説明をしてくれなかった。
後に知ったが、ステロイドを断ち切った時の反応の凄まじさは、とても個人差がある。
予め「ひどい反応が出る」と伝える事は出来ても、どう酷いのか?具体的に明言できなかったそうだ。
この凄まじい反応症状ゆえ「やはりステロイドに戻る」選択をする人も多い。
ステロイド軟膏の塗布を徐々に減らしつつ、食事療法や医師が指示する治療法を、併用しながら〈ステロイド絶ち〉をする人もいた。
後に「私も併用が良かった」と思ったが、併用を選び続けられる人達は、物事をコツコツと積み重ね、淡々と進めていける意志をもつ、着実なタイプが多かった。
例えるなら、長い夏休みの宿題を計画的に毎日きちんと一定量こなせ、新学期には全て提出できる、ウサギと亀で言えば、堅実な精神をもつ亀タイプでないと難しい。
ウサギにも亀にもなれない 着実さを持たず気分にムラありの私では、治療法の移行に併用型を続けるのは無理だったと思う。
私は無謀とも言える方向へ進み、年単位にわたる激烈な症状に無我夢中で堪えていた。
体の辛い症状と同じくらい悩んだのは、終わりが見えない事だった。
苦しい状況など好んで陥ってない。でも、陥ったら、目途がつけば少しだけ落ち着ける。
だいたい何か月後、この症状は回復に転じる等の、目安が欲しい。
それが全くなかった。
20代前半で「こんな目に遭って」いる事が、何歳くらいで脱出できるか?
それとも一生このまま?
症状が余りにも酷い為に治る気がしなかった。
一生これが続くなら耐えられない。次第にそう感じ始めていた。