アトピーと昭和が関係あるのか?と問われそうなタイトルだが、
私個人の感想としては「関係なくはない」と思う。
こうして時代が令和になり、昭和、平成、と過ごし、世の中の変化が凄まじく、
時々めまいがする。大きな時代の流れにグイグイと巻き込まれ、個の私が、抗ったり流されたりしつつ足掻いてる。
昭和時代に田舎で生まれ育った私が、初めてアトピー性皮膚炎と診断された時、
周囲に同じ病気の人はいなかったし、診断した医者の元にも患者は多くなかった。
ちなみに花粉症という病気は、まだ世に名前が無かった。
後に、あちこちにアトピー患者がいると知る事になるが、
それは診断を受けた10代半ばから約10年後。
つまり、私がアトピーと診断された時期、他の土地で同様の診断を受けた人が複数いた。
しかし、互いに「ここに居るょぉ」と知る由もなかった。
これが【令和で、田舎で、アトピー性皮膚炎で】なら、こうしてネット環境があり、置かれた状況や患者としての心境は、全く異なると想像する。
ただ、環境に関して全面的に「色々な情報につながれるから、今の時代の方が良い」とは考えていない。
アトピー患者になり、何とか健康になりたくて、その時々、必死で足掻いてきた。
中には(情報があったら、たぶん迷いが出てダメだったかも)という場面もあれば、
時に(もっと早く知っていたら良かったのに)という事もあった。
ついでに両親や背景の事も書いておきたい。
令和3年の今も昭和時代も、都会に住む/田舎に住む、で【機会】に大きな差がある。
もちろん、個人の性質が大きく左右するけれど、突然のチャンスを掴む確率や、誰かに(直接)出会って刺激を受ける出会いなど、都会の方が有利になる。
中学生だった私が【昭和で、田舎で】なら、両親や周囲も皆、昭和時代の田舎の人達。
この点も【昭和で、都会で】だと、私の辿ったアトピー道も全く異なっていた。
私の両親は善良な商売人だったが、突然アトピーなる妙な病気と診断された我が子を、全く理解できなかった。
アトピーは命に関わる病ではない、という認識も影響した。おまけに、当時は家業が忙しく『肌が荒れる程度の病気』に対して、親側には悩んでいる時間も余裕もなく、ほぼ無干渉となった。
私の親達も、昭和で田舎で情報弱者だったのだ。
何かトラブル発生した時に、その人の〈情報処理力〉〈情報把握力〉そして情報に辿り着く才覚がモノをいう。それらの能力によって、後々、全く違う展開が待っている。
情報弱者だった私達は、考える事を後回しにした。
とりあえず、で手近な所に駆け込むだけにして、調べる事をしなかった。