私の肌年表、鱗のごとく皮が剥がれるアトピー道【後編】

前編では、子供時代からアトピーと診断され、治療を転々とした事を、

中編、23歳に突然「何も後の事を全く知らず」ステロイド軟膏の塗布を止めた事を。

この後編では、現在に至るまでの紆余曲折を「ざっ」と書き残したい。

ステロイドは危ない!と一時期さかんに言われた、今は違うトレンドだろうか。

今尚、新たな薬も発売され、治療法も変化し続けている。

私がアトピーに最も苦しんだ頃から20年近く経つ、当時とは違うだろう。

皮膚科を受診して軟膏をもらう暮らし、止めたので現在のアトピー治療には疎い。

 

問答無用で手術!の病気や怪我でない場合、日々の生活と治療法は深く結びつく。

生き方、生活習慣など〈自分が選んだもの〉が病の行方を変える。

23歳の夏、人生最大級の選択をしたと、後になって思う。

あのままステロイド軟膏を塗る治療を続けたなら、私の人生は全く異なっていた。

選ばなかった人生について考えないのは、今に納得しているから。

でも、そこに至るまで「あっちでゴン、こっちでグサッ」の挫折も、激しかった。

実は、24歳~28歳くらいの期間の記憶が、所々で抜けている。

ない、と言わない。欠けて断片的な記憶は残るが、不快で、惨めで、辛くて悲しい等

良い事が全くないものだ。

23歳の秋頃~30代後半まで、ステロイド軟膏を塗らない肌状態はボロボロ。

その中でも20代半ば4、5年間の状態は「死んだ方がマシかも、この体」という有様

一歩間違っていたら自●していた、それも衝動的に。

余りに体の状態が辛く、それが絶え間なく続くと、正常な判断/思考が消える。

この数年間は危なかった(これも後になって判ること)。

ひどくタダレて血と黄色い汁にまみれた状態は、5年ほど続いたと記憶する。

最も悪化した時期を経て、30歳手前のある日、

突然、ふっと「あれ?ほんの少しだけマシかも??」と感じた。

感じただけで、実際に肌の荒れ具合は病気全開、見るも無残ではあった。

あくまで自分の体感だが、そう感じられたのは嬉しかった。

 

今現在、服薬や軟膏で治療中の人が、「じゃ、5年間ずっと頑張れたらアトピー治るの?」とは考えないで貰いたい。

私の場合たまたま5年だった、という結果。

もっと長い期間、過酷な症状がでる、

急な薬絶ちで痙攣しショック状態になる、

精神を病んだまま健全な状態に戻れなくなる、

他の臓器や体の何処かに重篤な反応が表れる、等々。

どんな状態になるか保証など無い。

同じ様に脱ステロイドし、5年も反応症状でない人も

そんな激しい状態、ホントに?と言えるほど軽い人もいるだろう。

個人差があり過ぎて、約5年が長いのか短いのかも判らない。

だから、ある人間の体験記として読んで頂ければ、と思う。

 

20代も、30代になっても、症状スッキリ改善したと言えなかった。

最も激しかった時期を越え、ほんの少し晴れ間が見えるが、曇り空や暴風雨つづき

いつまで経っても頑固な、タダレた皮膚が続く。

30歳を迎えても毎日毎日痒くて、皮膚は赤くて、ポロポロ剥がれ落ちる。

いつまでも親に援助して貰う訳にいかない。

ずっと引き籠り、外の世界から隔離した環境に居続けるのは、嫌だ。

風が頬に当たっても痛い肌で、外の世界へ出ていかなくては。

でも、怖い。

仕事をするなら、条件は短時間のパート、外見の美醜は問われない職。

飲食店をはじめ人前に立つ接客業はムリ、

長時間ずっと立っている事もできない、

手先は荒れており、洗い場みたいな仕事もダメ、等

かなり難しかった。

小さな職場の、倉庫の在庫管理や検品、出荷手続きの裏方、

それが社会復帰の極小さな一歩だった。

でも、体力がもたず、数歩で進めずに辞める事になった。

「頼れる親や実家があって甘えてるね」と知人は言った。

「本当に困ってたら、再びステロイド軟膏を塗ってでも働くでしょうに」

「ステロイド軟膏、また塗ったら?意地張ってないで」とも言われた。

当時、一番避けたかったのは再びステロイドを使う事。

しかし、バイトを挫折すると(やっぱり薬を塗らないとダメか)と悩んだ。

ステロイド軟膏を使わずアトピー治すなんて無理、と

(当時の)私のグチャグチャな皮膚を見た人は疑いをもち、

私自身も確たる証など持たなかった。

働きたい、自分でお金を稼ぎたい。

どうしょう、この荒れてタダレた皮膚で。

また薬に頼るの?イヤだな、どうしたらいいの?

元々、私には職業上のキャリア形成も何も望めない。

結婚して家庭をもつ、子供を育てることも望めない。

ただただ健康な体になりたい、それだけ。

短期アルバイト(今では死後か)で外へ出ては、体調を崩した。

寝込んで皮膚は真っ赤にタダレ、少し回復したら再びバイトを探した。

でも、社会に私の居場所、私を受け入れてくれる場はなかった。

仮にあったとしても、手を差し伸べてくれても、応えられる体でなかった。

完全な引き籠り(せざるを得ない)時期は、20代の5年ほど。

30代、バイトしては続かず、自己嫌悪ばかりで萎んでいた。

先が見えない苦しさ、健康になれない口惜しさ、惨めさとで20代は去った。

私が30代だった頃、世は就職氷河期と言われた時代。

健康な、学歴も申し分ない人々でさえ、職に就けない残酷な時代。

皮膚タダレの、中年に差し掛かった何の取り柄もない私が

フルタイム正社員として就職できる余地はなかった。

 

ある時、バイト仲間だった人が言った。

「こんな時代で、不景気で、良い事ないって思う時もあるけど。

大通りの真ん中は歩けないけど、隙間ならあると思う。

助けてくれる親が居るなら助けて貰いなょ。生きててょ。

生きていくのに中央通りだけを目指さなくても、隙間ならあるょ」

20代で就職が出来なかった、中央通りは歩けない気がしていた。

なのに、大通りばかりに目がいき(行けない)って残念がっていた。

 

隙間を見つけて社会へ出ていきたい、と思えた。

皮膚のタダレ具合 / 働ける時間の長短 けっこう正確に比例した。

あと、睡眠も!!!

睡眠については無視できない。

元々、かなり深刻な睡眠トラブルを持っていた。

眠れるからアトピーは回復するのか?

アトピー症状が落ち着くから眠れるのか?

ぐっすり長く眠れる / 皮膚のタダレ具合 / 働ける時間の長短

これら3点が絡み合って、

どれか1つ欠けたら、バイトへ行けないくらい肌が悪化し荒れる。

30代の半ば以降、3点セットが「上手く守られるよう」にと意識して暮らした。

地道で、遠回りで、腹立たしい程に成果はでなくて、

でも、そうして40代を迎えた頃には、皮膚のタダレは全身でない。

部分的なものに変わり始めていた。

働ける時間も長くなり、眠れる時間も更に長くなった。

それを維持できないか?絶えず模索していた。

時に、上手くいかず皮膚悪化で後退もしたが、

年単位でみたら、ジリジリと回復方向へ進んでいた。

40代は、黄泉の国に背を向けて、光差す方向へと諦めず進む

ひたすら進む方向にいた(と、今だから言える)。

そして、50代の今、フルタイムで働いている。

親の扶養に入らず、誰かの援助も受けず、自分の生活を営んでいる。

皮膚は、たまに荒れる。

コロナで消毒液を使う回数が激増したから、両手いつも傷だらけ。

「肌弱そうね、アトピー肌っぽいね」と言われる。

そう、それだけ。